多くの方々から驚かれながら、呆れられながら教壇を去って8か月経ちました。身近な人にはすぐ知れ渡りました
が、特に挨拶状も出さなかったので、この度出した年賀状で退職のことを聞かれた方もおられたと思います。
以下の文章は2010年4月に家族新聞「エッグプラント」に載せたものです。これを読まれると少し状況がお分か
りになると思います。
新しい年度がスタートしました。子どもたちの学年が一つずつあがることはもちろんですが、今年度は我が家に
とって特別な年になりました。私が3月31日をもって転職したからです。すなわち二十五年勤めた小学校の教壇を
去り、教会の働きに専心することになったのです。
職業のことを英語で「calling」とも言います。(辞書を見ると「天職、職業、生業」)この言葉の主な意味は「
呼ぶ、召す」であって、職業とは「呼ばれた働き、召された仕事」ということを伝えています。これには聖書発想
が見られます。人はそれぞれ自分に適した職業が備えられ、それに召されるのです。「誰」が召すかというと、「
聖書に啓示された創造主なる神」です。
「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。…主の御告げ。…それはわざわいではな
くて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」 (エレミヤ書29章
11節)
私の場合は最初「教師」として召されました。採用された当時は、今と違って教員になる道はとても困難でした
。一つは少子化の影響で教師の数が溢れてきたこと。もう一つはバブル経済の盛りで、はるかに待遇のよかった一
般企業に教師の卵たちが流れたのです。実は私も一般企業の道ではないかと思い就職活動をしていたのです。しか
し、創造主の計画は違うところにありました。奇蹟的に採用試験に合格し、22歳と1カ月で教壇に立ったのです。
人は置かれた環境でいろいろ訓練されます。私も教師の仕事を通じて多くのことを学ばせられました。そしてここ
に至って、神の召しは次の段階に移ったのです。それが、「教師の仕事を辞めて、教会の中で専心で働くこと」で
あったのです。もちろん、この決断に至るまでには一筋縄には行きませんでした。妻や子どもたち、また教会の仲
間たちとも一緒に祈ってもらいました。そしてこの考えにみなが一致したのです。不安が全くないわけではありま
せん。これまでのライフスタイルを変えなければならないことも生じるでしょう。これまでとは違ったストレスも
あるかもしれません。しかし、私たちクリスチャンにとって最もつらいのは「自分が何に召されているか」がわか
らなかったり、その召しがわかっていながらそれを無視したりしているときなのです。
周りからは驚かれるばかりで、無理もないことです。短時間で説明するのも難しく、「竜馬ブーム」を用いて、
半分冗談、半分本気で、「日本のために脱藩しました!」と切り出した人もいました。(一番傑作な反応は、「脱
糞?そりゃもらすことか…」と聞き返されたこと)脱藩して何をするのかと言うと…
まずは聖書の福音(良いお知らせ)を伝えます。これまでお世話になった方々へ恩返しの意味を込めて。できれ
ばこれまで出会った教え子たちへも。
奇しくも今月4日に、教え子の結婚式披露宴の二次会に招待されました。そこで14人ほどの教え子たちに再会しま
した。もう30前のりっぱな若者たちです。彼らに転職のホットニュースを伝えました。今後も彼らと関わりを持て
ることを願っています。他の教会へも、メッセージを語るために赴きます。コル・シャローム(男性四人コーラス
)のリーダーとして行くこともあります。
次に、教会での奉仕です。聖書を学んだり、いろいろな活動のお手伝いをしたりします。百十名ほどのクリスチ
ャン(私たちは「兄弟姉妹」と呼び合います)たちのためにいろいろなお世話もさせてもらいます。
「収入は?」と率直に聞いてくださった方がいました。これまでの親方日の丸、安定月給制から親方イエスさま、
不思議な天給制に変わります。自分たちでもはっきりわかりませんが、まずは一年私たちの生活を見て、その不思
議さを実感してください。我が家にある坂本竜馬人形が次のようなことばをしゃべります。
「心はいつも太平洋ぜよ。」「くよくよしてちゃ、いかんぜよ。」「でーっかい夢をもたにゃ、いかんぜよ。」全
く同感です…(終)
(家族新聞「エッグプラント」はこのウェブで読むことができます。毎月更新しています。表は私の近況や聖書メ
ッセージを載せています。裏面は子どもたちの作文や記録写真などです。よければご覧ください。)
教職についてからも教会の働きに預かってきました。これから定年まで同じようにすることもできたかもしれま
せん。しかし、教会の働きは増え続け、学校の仕事も増え続け、体力的には衰えていく中で、いつまでもこの状況
を続けるのはいかがなものか、とずっと考えてきました。何かを犠牲にしていかなければ全部が中途半端になって
しまいます。そして、教会の仲間や家族と相談し祈っていったのです。
学校の仕事に関しては、私よりも能力があり、元気があり、やる気のある人はいくらでもいます。若い教師たち
がすぐ実戦に投入されることも行われています。しかし、教会の働きは若者がすぐできるものでもありません。数
的にも教師を目指している若者たちに比べるとごくわずかです。教会の働きに関しても自分が特別に能力があると
か見込みがあるというわけではなありません。しかし、今まで自分が言ってきたことを、自分に問われている感じ
がしたのです。「私たち人間にとって最も大切なことは、私たちを造られた創造主を恐れ、敬い、その方が一人一
人に備えられた道を歩むこと…」そして、この時期に教職を去ることが私に与えられた道であると確信するにいた
ったのです。
一部の人が感じているように「宗教にのめり込んだ」つもりはありません。言いたいことや目指していることは
これまでと何ら変わっていません。ただ、これまでは仕事の忙しさもあり、お伝えしたいことを、なかなか伝えて
これませんでした。このまま定年まで勤めてもこの状況は変わらなかったでしょう。それはあまりにも惜しいこと
です。その残念な気持ちを抱かずに済んだだけでも私は喜んでいます。多くのお世話になった方々に「聖書の語る
グッド・ニュース(福音)」を是非お伝えしたいと思います。大袈裟ですが、これが「命をかけるほどの価値ある
ものである」ことを知っていただけたら教職を辞した価値は十分あるのです。
現職の方、退職された方、親族や友人のみなさん、これを読まれた方々、よければメールを送ってください。お
待ちしております。kiyoshinasu●gmail.com(●を@に変更してご利用ください)
私が行っている教会は「東住吉キリスト集会」のウェブページのアドレスはhttp://bible-hca.com です。このサイトのトップページからもリンクしていますし、この名前で検索してもすぐでます。(「教会」ではなく「集会」ですのでお間違いなく。)